TOPICS

地域の情報をはじめ、季節のイベントやおすすめスポットなどをランダムにピックアップ。観光情報誌などにはないようなディープな情報も地元ならではの視点でご紹介します。

OWNER'S BLOG

MASCOS AGORA Vol.2 地域循環型社会について。

MASCOS INC. 社長の洪 昌督(こう しょうとく)です。前回の記事でも触れたMASCOS AGORAの第2回目は、地域研究の第一人者・藤山 浩(ふじやま こう)さんをお招きして開催しました。

藤山さんのテーマとする地域課題というと、どうしても行政機関の管轄とされがちですが、私は民間の方々にも広く藤山さんの存在や考えを知っていただきたいという思いがありました。その意味で、今回は少しその願いが形になったように感じています。結果として、参加者の皆様には多くの学びと気づきがあったのではないでしょうか。

「地域循環型社会」とは何か。そして、それを実現するためのステップについて、人口動態データや購買データをもとに、今回藤山さんが理論を展開してくださったことで、強く納得・共感する場面が幾度もありました。

島根県益田市に本社を置き、地元で経済活動を行う私たちのような企業にとって、地域内でお金が循環しなければ、その存在意義すら問われかねません。経営者の視点から見ればごく当然のことですが、現実として多くのお金は、県外に本社を構えるチェーン店やフランチャイズ本部へと流れていきます。

さらに、飲食店や小売業者の多くが域外から仕入れているという事実は、人口減少以上に私の心に残りました。

少し古いデータにはなりますが、仮に益田市周辺を「高津川流域経済圏」と呼ぶならば、その人口は当時約7万人。そして年間の域外調達総額は約1,420億円にのぼるとのこと。これは、域内の住民の年間所得総額である1,556億円に匹敵する金額です。

つまり、地元で稼いだお金の多くが、最終的には外に出ていく構造ができあがっており、事実上これでは「地域循環」とは到底呼べません。

もちろん、「選ばれない企業」が競争に敗れたのだと言ってしまえば、それまでのことです。しかし、地域を深く知れば知るほど、そのような単純な話ではないことに気づかされます。

何を「良し」とするのか、その尺度や価値観が、地域経済のあり方に強く影響しているのです。つまり、個の価値観がダイレクトに地域経済に影響しているとも言えるでしょう。

たとえば、益田市は石見地方に属し、ここで有名なのが別名「赤瓦」と呼ばれる赤褐色の「石州瓦」です。島根県芸術文化センター・グラントワの建材としても使われているこの瓦は、1350度という高温で焼き締められ、世界でも屈指の強度を誇る建材です。そして、この赤瓦を屋根に使った家々が、地域特有の美しい景観を形づくってきました。

しかし近年、イニシャルコストの問題やデザインに対する価値観の多様化により、赤瓦を用いた新築はほとんど見かけなくなりました。益田市でも、コロナ禍以降の住宅建築ラッシュのなかで、赤瓦の家はほとんど建てられていません。

その結果、1995年には28事業所あった地域の伝統技術を担う瓦製造事業所は、現在では石見エリアに4ヶ所のみとなり、実際に工場として稼働しているのは、浜田市・江津市・大田市にそれぞれ1社ずつ残るのみとなっています。益田市からは、すでに姿を消してしまった状況です。

これを「競争に敗れた」と片づけてしまって良いのでしょうか。地域には、それぞれの気質や暮らし、価値観があり、それが長い年月をかけて独自の文化として育まれてきたのです。

現在、日本の観光市場はインバウンド需要で活況を呈しています。これは単に円安の影響だけではなく、日本独自の文化や風景に魅了されて訪れる外国人が多いからではないでしょうか。

益田市にも、益田市ならではの「らしさ」が確かに存在します。

しかし、それが少しずつ失われていくなかで、この土地で生きていくことは、私のように文化や芸術を愛する者にとっては、あまりにもシニカルに感じられるのです。

もちろん、その儚さに美を見出すという視点もあるでしょう。でも、私はこの土地で生きる者として、儚さに抗いながらも、自分にできる最大限のことをしていきたいと考えています。

藤山さんの言葉でとりわけ印象に残ったのが、「1%の力」という考え方でした。

地域に暮らす一人ひとりが、たった1%でも行動を変えるだけで、地域経済は確実に変化するのです。母数を1500億円とすれば単純計算で15億円の経済効果が域内に生じることになります。

たとえば、外資系スーパーに年間100回通う人が、たった1回だけでも地元のスーパーに足を運ぶ。というそれだけで、地域循環の流れは生まれます。この地には早くから地域循環を実践し、地産地消の草分け的存在のキヌヤさんという素晴らしいスーパーがあります。

私がローカルコンセプトのマスコスホテルを始めたのも、このブログを始めたのも、そんな小さな一歩を信じてのことです。

そして、かつて私自身が地域経済や地元の文化の魅力に全く気づけていなかったことを、今となっては恥ずかしくも感じます。

「無知は罪だ」と言われることがあります。確かにその通りだと思う部分もありますが、人間は本質的に未熟であり、誰かが無知であることには、むしろその先人や周囲の責任もあるのではないかと思うようになりました。

私を含め、この地を離れて活躍している人も、そうでない人も、もしもっと早く、もっと深く、地域のことを教え、伝えられていたならば、今のように安さを売りにした外資系のチェーン店に地域の人々が群がる状況にはなっていなかったかもしれません。

風前の灯火のような今の現状に対して、「既に遅い」と言われるかもしれません。それでも私は、自分なりにできることを、少しずつでも言葉にして、誰かに届けていけたらと思っています。

 

SHARE

NEWS

d design travel 第35号《島根号》掲載のお知らせ

このたび、ロングライフデザインをテーマに47都道府県をめぐる『d design travel』の第35号〈島根号〉にマスコスホテルが“島根県らしい宿”として、代表の洪 昌督が“島根県らしい人”として選出されました。

Announcement: Featured in d design travel Vol. 35 “Shimane Issue”We are pleased to share that Mascos Hotel has been selected as a “Shimane-like accommodation” in Vol. 35 of d design travel, a magazine that explores the theme of long-life design across Japan’s 47 prefectures. Our representative, Shotoku Koh, has also been featured as a “Shimane-like person.”

また、発刊を記念した「d design travel SHIMANE EXHIBITION」(3/20〜6/29 @d47 MUSEUM)に代表の洪 昌督が、島根のキーパーソンの一人として展示およびオープニングトークイベントに参加いたしました。トークイベントでは、『d design travel』編集長・神藤秀人さんのナビゲートのもと、以下の島根に根ざした活動をされている皆様とともに、地域とデザインの関わりについて語り合いました。・福森 拓さん(sog/松江市・BIOTOUP)
・俵 志保さん(俵種苗店-SHIKINOKA/津和野町)
・玉木 愛実さん(一般社団法人津和野まちとぶんか創造センター)神藤編集長の丁寧な問いかけに導かれ、益田という地方都市での挑戦や、マスコスホテルが目指してきた“地域と共にある空間づくり”について改めて言葉にする貴重な時間となりました。展示ブースでは、マスコスホテルの空間や活動の紹介に加え、洪本人のブースも設けられています。
神藤編集長自ら実際に2ヶ月以上島根に滞在して選び抜かれた島根のモノ・コト・ヒトの空気に触れることのできる本展、ぜひ会期中にご覧ください。

To commemorate the publication, the d design travel SHIMANE EXHIBITION is being held from March 20 to June 29 at d47 MUSEUM. As one of the key figures representing Shimane, our representative, Shotoku Koh, participated in both the exhibition and the opening talk event.Guided by the thoughtful questions of Editor-in-Chief Hideto Shindo, the talk event brought together individuals deeply engaged in local initiatives to discuss the relationship between design and community. It was a valuable opportunity to reflect on the challenges of working in a regional city like Masuda and to articulate Mascos Hotel’s vision of creating a space rooted in and shared with the local community.The exhibition includes a dedicated booth showcasing the space and initiatives of Mascos Hotel, as well as a personal section featuring Shotoku Koh himself. Curated by Editor-in-Chief Shindo, who spent over two months living in Shimane, the exhibition offers a rare chance to experience the people, products, and stories that embody the spirit of the region. We warmly invite you to visit during the exhibition period.

 

島根県の個性を、「デザイン」と「旅」の視点から見る展覧会

SHARE

NEWS

キャンセルポリシーの変更について

いつもMASCOS HOTELをご利用くださいまして、誠にありがとうございます。
このたびMASCOS HOTELでは、ホテルにおけるキャンセルポリシー(ご予約取消に伴う違約金)を変更いたします。
2025年4月1日(火)予約受付分より以下のとおり適用させていただきますので、予めご確認いただきますようお願い申し上げます。

※ %は基本宿泊料に対する違約金の比率です。
※ 2025年4月1日以降に予約するご利用より適用いたします。
※ プラン毎に別途キャンセルポリシーが設定されている場合、そちらが優先されます。
※ 6室以上のご予約の場合は別途規定がございます。ご予約の際にご確認ください。
当日 / 不泊

 

2025年3月31日までにご予約されたご利用分は、旧キャンセルポリシーを適用いたします。
ただし、2025年4月1日以降に、ご利用人数・お部屋タイプ・日程の変更があった場合は、新キャンセルポリシーを適用させていただきます。

SHARE

OWNER'S BLOG

MASCOS AGORA 初開催に寄せて。

 

社長の洪 昌督(こう しょうとく)です。

マスコスホテルは単なる宿泊施設にとどまらず、新しいカルチャーを発信する拠点となることを目指しています。その一環としてホテルのダイニングスペースを活用した様々なイベントを開催し、地域と共に文化を醸成していきたいと考えていました。しかし、コロナ禍や人手不足の影響で計画が停滞していたものの、昨年からようやく体制が整い、かねてから念願だった MASCOS AGORA を開催することができました。

「アゴラ(AGORA)」とは、古代ギリシャにおいて市民が集まり、意見を交わし、知識を共有する広場を意味します。この名前には、地域の多様な方々が集い、実際に会って意見を交わしながら街の未来を共に考えていきたいという想いが込められています。私は浅学ながらも10代の終わりからソクラテスやプラトンに魅了されており、彼らの「知性で社会を良くしていく姿勢」に強く惹かれて、この名前を選びました。スパルタのマッチョ精神への憧憬もあったりするのでかなり古代ギリシャ推しです(小野沢シネマさんで映画300をかけたいほど)。

MASCOS AGORA は毎回ゲストを招き、開催することを目指していますが、必ずしも毎回可能とは限りません。しかし、不定期でも継続していきたいと考えています。ゲストは私の独断で選びますが、「知性的で驕らず学びのある方」を基準としています。第1回目のゲストには北九州を拠点にクリエイターとして活躍されている 八木田一世さん をお迎えすることができ、大変有意義なスタートを切ることができました。八木田さんは、MBAで教鞭を執る学者的な知見と、ご自身で事業を展開する実践力を兼ね備えた方であり、その講義は素晴らしいものでした。あまりに素晴らしかったため、次回以降のゲスト選びが難しく感じられるほどです。しかし、人にはそれぞれ異なる魅力があるため、その点は気にしすぎず続けていきたいと思っています。

私は元々まちづくりには関心がなく、「UIターン」という言葉に対しても懐疑的でした。そんな中でデザイン会社「益田工房」を立ち上げ、さらに音楽活動に再び目覚めたことが、結果として地域活性化を軸とするホテルの開業に至りました。これらのすべては「人とのつながり」がきっかけであり、当初から街の当事者として強い意識を持っていたわけではありません。むしろ、出会った一人ひとりの影響によって、現在の形になったのです。

もし私のことを「成功者」と見る方がいるとすれば、それは誤解です。なぜなら、私は自分自身が「本来の自分を生きている」と言い切れないからです。私の根幹は表現活動であり、その中心には常に音楽があります。その信念は揺らぐことなく、経営者としての役割も時に違和感を伴うものでもあります。

新しい事業に挑むたびにあえて音楽作品を残してきたのも、「自分の中の自分を生き続けたい」という願いの表れです。それは時に、別の未来を歩む覚悟への自分への贈り物でもあったのかもしれません。贈り物が次のビジョンと踏み出す勇気を生み、それが結果的にホテルの開業に至ったと感じています。

現在、私はホテル経営に加え、アートディレクター、フォトグラファー、動画クリエイター、ブランディングプランナーなど多岐にわたる役割を担っています。これらの仕事の多くは、他者からの相談をきっかけに始まったものが、気がつけば仕事として確立したものです。

音楽を根幹に持つ私は、学生時代に映画制作にも没頭し、脚本を書いていました。そのため、文章を書くことに対して苦手意識はありません。映画は人間社会の断片を一つの物語として描くものであり、現在私が携わるすべての仕事がその要素を内包していると感じています。

映画制作の醍醐味は、チームで一つの作品を作り上げることです。監督がすべてをこなすわけではなく、カメラマンや音響技師の力を借りて、自分のビジョンを具現化していきます。この構造は、会社運営にも通じるものがあります。マスコスホテルの運営も映画制作のような感覚で進めており、少数精鋭の「益田工房」はバンドのようなイメージです。

そのため、規模の拡大や多店舗展開に大きな興味はありません。しかし、生き残るためにある程度の規模拡大が必要であれば、それも現実として受け止めています。

益田市では、私が戻ってきた15年の間に約5000人ほど人口が減少しました。つまりそれだけ商圏が小さくなってきているとも言えます。それだけで競争は激化するのですが、益田で起きている現象として私が最も危惧しているのは大手チェーンのフランチャイズ出店が増えていることです。これは一見経済発展として捉えられるかもしれませんが、それが成立するには本来人口増加が条件です。地元らしさを持つ個性的なお店が競争に巻き込まれて廃業に追い込まれるリスクが増えることにもなります。競争社会の中では仕方のないことなのかもしれませんが、地域の特色を出すことこそがその地域の魅力を演出できると考える私のような価値観の人間にとっては、やはりこれはなんとかしたいなと思うわけです。拡大主義者が闇雲に利益を追い求める結果、地域の素晴らしい財産を食い荒らしていることをそろそろすべての人が気付くべき時が来ているはずです。少なくとも賢明な益田市民は益田で起きているその危うさに気づくべきです。その上で、自分磨きを怠らない風土を作り上げることが地方で生き残るための生存戦略の一つだと私は考えます。

 

 

SHARE

TOURIST INFO

全館停電のお知らせ

電気設備定期点検のため、下記日程にて全館停電を実施いたします。

停電日時 :2025年1月20日(月)12:00~13:30
※雨天・荒天の場合は1月27日(月)に変更する場合がございます。
※当日の日帰り入浴は14:00より営業いたします。

ご宿泊・日帰り入浴ご利用予定のお客さまには大変ご迷惑をおかけいたしますが、
何卒ご了承賜わります様お願い申し上げます。

SHARE

TOURIST INFO

連泊時の清掃についてのお知らせ

マスコスホテルでは現在、環境保護の観点よりご連泊時の通常清掃を3日に1度とさせていただいております。
(連泊清掃無しプランの場合は7日に一度)

これまでは、ご希望がありましたら追加での清掃についても無料でさせていただいておりましたが、
8月1日より、清掃日以外での客室清掃につきましては1回2,000円の追加料金を頂戴することとなりました。

ご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします。

SHARE

OWNER'S BLOG

誇れるか、否か。

 

マスコス社長の洪 昌督です。

半年以上もブログを更新しなかったのには理由があります。

自分の中で、今書くべきではないという忖度をしていました。それは、私が最も嫌悪していたはずの世間に対する媚びの姿勢であり、生ぬるい企業家やクリエイターが直面するジレンマ、それが透けて見えることを恐れたからです。

私のように中途半端な人生を歩んでいると、周りから認められたいという欲望に目が眩むことがあります。そこには大きな落とし穴があり、本来自分が望むやり方や世界とは違う方法を選んででも、それを求めてしまうということがよくあります。ビジネスと割り切ればそれで良いのかも知れませんが、そこに本質的な幸福をどうしても見出すことが私にはできません。自ずと死ぬ間際に自分を誇れないまま息を引き取ることになるのは私のような人生観を持つ人間にとっては明白です。

益田という街に戻ってからの15年間、私はこの葛藤の中で生きてきました。そして今もその葛藤を抱えながら生きています。その渦中で、自分を律し、奮い立たせて作り上げたのがマスコスホテルであり、益田工房です。どちらの会社でも、私は常々スタッフたちに世界レベルを意識するような言葉を投げかけています。しかし、それがなかなか伝わらないという現実を、この15年間で実感しました。何より、スタッフだけでなく、自分自身がどこかで妥協していることにふと気付く場面がしばしば訪れます。それでは伝わる筈もありません。

最近、私は案外真面目で普通とは変わった価値観で生きてきたのかもしれないと思うようになりました。若い頃から遊ぶことにさほど関心がなく、自分の才能でどれだけオリジナルの世界を表現できるかということだけを考えていました。当時は仲間と真剣に音楽活動をしており、商業主義とは程遠い、独自の精神世界を表現するという一点のみを見つめた活動をしていました。自分達の表現に嘘を持ち込みたくないという純粋たる気持ちで創作をしていました。たとえそれがなかなか理解されないとしても。それが伝わり評価してくれる相手は世界のどこかには必ずいるはずだということを信じていました。東京にいた仲間たちも皆似たような心持ちの人間だったため、自分が特別に変わっているのだとは思いませんでした。むしろ、技術も感性も知性も全く足りていないという意識が強く、単なる他者との比較というものではなく、世界レベルの唯一無二の優れた作品を生み出す「装置」としての自分の性能の低さに劣等感を抱く日々を過ごしていました。

益田という、島根県内ですら存在感の薄い街で暮らしていると、「世界と戦う」という意識を伝えることが非常に難しい現実に直面します。都会で目覚ましいスピードで成長し進化している知人たちを見ると、その差は歴然としており、悔しさと虚しさが込み上げてきます。

今年で44歳になった私ですが、40歳を過ぎたら、後進のためにも、自分に正直に生き、自分の思うことを素直に発言し、発信しようと心に決めていました。韓国にルーツを持つ家族のもとでこの国に生まれ育った私は、それなりの儒教的精神が根付いており、孔子や孟子の遺した言葉が自分のベースとなっている様な気がしています。とはいえ、孔子の「四十にして惑わず」という言葉に対して、私は若い頃から懐疑的でした。事実、若い頃の私は、四十を過ぎてもなお何も成し遂げられないなら生きていたくないとさえ考えていました。四十からの人生は、惰性と生命の消費の時間にすぎないといった様な考えです。この世界には若くして天命を全うし、世界を前進させる人々がたくさんいます。しかし四十を越えてさして成果をあげられていない自分を内省すると、私は孔子の言葉が凡人に向けられたものであったのだと今更ながら悟り、実際に自分もその一人であることを受け入れました。凡人であっても、四十歳を過ぎてからは周囲の視線を気にせず天命を全うする使命があると今では感じています。消費し、消費されるだけの人生の時間ではなく、社会を前進させるために自分に与えられた時間でできることを真剣に考え抜き行動することが使命であり、それこそが不惑の意味することではないかと。私は会社の理念として「誇れるか否か」を掲げ、スローガンとして「目的地であれ」と謳っています。これまでの歩みが全て正しかったとは言い切れません。「自分はなんと小さい男なのだろうか」「なんと無駄な時間を過ごしてきたのだろうか」と振り返ることもあります。今一度自分の人生を見つめ直し、死ぬ間際に「凡夫なりに、俺は自分を誇れる」と思えるように生きて死にたいと思います。

 

SHARE

TOURIST INFO

デイユースプランのご案内

《DAY USE PLAN》

MASCOS HOTELをお気軽にお楽しみいただけるデイユースプランをご用意いたしました!

温泉やサウナ入り放題&最大10時間のご利用が可能!

もちろんお部屋でもお過ごしいただけますのでリモートワークなどのお仕事も!

ご予約はお電話(0856−25−7331)で受け付けております。

○時間:12:00チェックイン-22:00チェックアウト

○料金:¥5,500/1室1名(¥8,800/1室2名)

・本プランは宿泊なしのデイユースプランとなります。

・お時間の延長は行っておりません。

・チェックイン後のキャンセルはできません。

・事前予約なしでもご利用いただけますがお部屋のご用意にお時間を頂戴する場合がございます。

・室数限定のためご利用いただけない場合もございます。ご了承ください。

SHARE

TOURIST INFO

「しまね旅キャンペーン」再実施中!

SHARE

OWNER'S BLOG

マスコスホテル誕生のきっかけ

社長の洪 昌督(こう しょうとく)です。

今回はマスコスホテル誕生のきっかけについて書こうと思います。
一言で表すなら、それは島根県芸術文化センターグラントワの存在。 

日本を代表する建築家の一人、内藤廣氏が設計したこの建物が“この”益田市に誕生していなければ、マスコスホテルを建てることは絶対になかった、それほどグラントワの誕生は私にとっては大事件でした。 

私は高校卒業まで益田市で過ごしたのですが、当時の私の益田に対する印象は最悪そのもので、お世辞にも郷土愛などという尊い気持ちはなく、むしろ完全否定の対象として、夢も希望も持てない「片田舎」という位置付けでしかありませんでした。 

当時、少年だった私にとっては大袈裟でもなんでもなく、本心からそのような気持ちで益田という街を俯瞰していました。 きっと私と同様の思いで益田を離れて行った人達は多数存在するのではないかという確信めいた思いすらあります。このことが地方から人がいなくなる最大の原因と言っても間違いではないでしょう。 

家族を愛し尊敬する気持ちはあっても、将来に希望を抱くことが本分の少年にとって、憧れの対象となる街、すなわち大人を身近にまた魅力あるものとして感じることができないというのは酷な話です。 海も山も川も全て揃う自然環境には充分すぎるほど恵まれているこの土地で、己の一生を考える 時、指標となる存在に出会うことの出来ない街。私の場合はその空白を、映画や文学、そして音楽で埋めていきました。その意味においては、インターネットのない時代に海外の映画コレクターだった父親には感謝しなければなりません。 

テレビから垂れ流される国内マーケットに偏りすぎた日本のメディアやアーティストと呼ばれる人たちの作品と距離を置くことが出来たのは、海外の作家が生み出す高潔な作品群との比較 によるところが大きく、少年の純粋な感受性にその差は圧倒的だったのです。魂を売った大人が作った産物と大人が魂を込めて作り上げる真の作品との違いと言ってもいいでしょう。もちろん、国内にも素晴らしい作品は数多くありますし、日本のテレビと海外の映画を比較してしまっている時点でそもそも対象が間違っているのですが、子どもにとっては同じ大人が作り出すという点に相違はなく、ただ純粋にそのように感じていたのです。当時の気持ちとしては、日本のテレビは何故こんなにダサくて幼稚なのかと、怒りの感情を抱えていました。今となってはそのダサくて幼稚な理由に私なりの解釈がありますが、それは今回は省略します。 

街はそこで暮らす大人たちの思考と行動の連続で現在を更新し続けるわけで、魅力のない街というのはそこに暮らす大人そのものとイコールになる、つまり街に魅力がないのは大人に魅力がないことに他ならないと考えていました。未だにその想いは大きくは変わりません。ただ、その厳しい目を今度は自分自身に向けざるを得ない環境に身を置くことになったのが当時と今との決定的な違いです。

そんな二度と帰りたくないと思っていたこの街に帰ってきた私。人生これからという20代後半で、今後は「ここ」で一生を過ごさなければならないという、事業を営む家の一人息子として生まれた自分の宿命に対する絶望感に打ちひしがれる中、初めてグラントワに訪れた際、とても一言では言い表すことのできない感動を覚えました。 

私が子どもの頃に出会いたかった高潔で純粋且つ洗練された正真正銘の本物のクリエイターの姿が、建築というインタラクティブな空間として“あの”益田に誕生していたのです。それも郷土の伝統である石州瓦を全身に纏った姿で。 

この出来事は街に巨大な隕石が落ちてきたほどの衝撃と変化を私にもたらしました。まさしくその後の私の人生を大きく左右する出来事です。東京でクリエイターとして名を揚げることを諦めて帰ってきた私に、もう一度クリエイターとして歩むことを後押ししてくれる存在が、身近に誕生していたのです。 この時点で、益田という街の捉え方が私の中でマイナスからプラスへと大きく逆転していきました。グラントワに足を運ぶたびに、「お前もっと頑張れよ」と戒められるような気持ちになるのです。それは、癒しの空間であると同時に生きることを急かされるような、相反する感情が渦巻く場所として。 そんな自分のような人間の気持ちを受け止めてくれる存在があることが、それから約3年ほどして創業した益田工房というデザイン会社を営む上でも大きな支えとなりました。少なくともグラントワに行けば、デザインや文化そして芸術の重要性を理解してくれる学芸員や職員の方々と交流することができ、価値観を共有できる同志が存在する場所、言い換えるなら聖域がいつでも足を運べる場所にある。これは少年時代の孤独からの解放を意味します。 

上空からグラントワを捉えた様子

 

益田工房創業後、デザインに対する理解の低い街で最初は苦労の連続でしたが、10年という長い月日をかけてデザインの重要性を街に浸透させるという目的の遂行に一定の達成を実感するにつれ、次第にもっと直接的にまちづくりに参加したいという思いが強まっていきました。

私は寝る以外にはぼーっとすることができず、常に何かしらの邪念や雑念が脳裏に現れては消えてを繰り返してしまうタイプの人間で、あるとき、益田を訪れた人たちにとって、「すごいのはグラントワだけで、それ以外は特に何もない街として映っているのではないか」という疑念がふと湧いてきた瞬間がありました。「それでは困る。いや、本当にそうなのか?」自問自答する中、では何が今の自分に出来るのだろうと考えた時、私には一つ確信(妄想)に似た答えがありました。

当時、現実問題として、益田には宿泊施設が足りていませんでした。私は落ち着きがなく、性急に動き出してしまう性分なのですが、すぐさまその確信を携え、ほとんど発作的に駅前の土地を探しに出かけていました。駅前に向かったのは益田駅前の裏手にある飲食店が立ち並ぶ通りの魅力を知っていたからです。益田市は島根県西部においてダントツで飲食店の多い街です。尚且つそれが一ヶ所に固まっていてどこも美味しいというのが最大の魅力です。以前からその魅力をもっと伝えることはできないものかと考えていたのですが、そこに宿泊問題が私の中での妄想と結びつき、益田の飲食店街にすぐにアクセスできる宿泊施設が出来ればきっとこの街の評価も上がるのではないかと考えたのです。チェーン店ではない、地元の人がプライドを持って営む個人商店が並ぶ通りはこの街の財産です。そして何より、そのすぐ先にはグラントワがあるのです。この必然をこの街の大人が大きな魅力として認識し、力を入れて打ち出すべきです。

見つけた土地は、今ではグラントワ通りと名のついた駅前に面した大通りで、飲食店街と駅をまさにグラントワと直線上で挟み込める場所にあったのです。すぐに当時社長であった父にこの話をしたところ、私以上に行動力のある父はすぐさまその土地を押さえてしまったのです。 私としてはいつもの勢い任せの妄想を口に出しただけのほんの軽い冗談に近いつもりでしたが、父には本気のプレゼンのように捉えられてしまったようで、こうなってしまうともう誰にも止められません。そこからマスコスホテル誕生までの道のりは大変険しいものになりまし た。 

手前にはマスコスホテル。奥にはグラントワが。写真中央の通りに飲食店が立ち並ぶ。左の通りがグラントワ通り

 

その苦労話は別の機会に綴りたいと思いますが、宿泊施設を作るということは、大型建築を益田に誕生させることになります。そこでの私の思いは、ただ一つ、なんとしても本物と呼べるものを建てたいというものでした。豪華絢爛な宿泊施設やグラントワほどの究極の建築は無理でも、これならなんとか恥じることなく胸を張って満足してもらえるギリギリのラインを目指しました。グラントワという存在がなければそこまで自分を追い込むことは決してなかったはずです。ビジネスを超えた地域の矜持の問題として表現したいと思ったのです。これがマスコスホテル誕生のきっかけです。

グラントワ内の島根県立石見美術館で開催中の企画展会場入り口

 

この記事を書いている現在、そのグラントワで内藤先生の展覧会を開催中です。『建築家・内藤廣/ BuiltUnbuit 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い』と銘打たれた企画展は、内藤先生がこれまで実際に手掛けられた建築模型と実現しなかった建築模型が所狭しと並び、尚且つそれら一つ 一つに先生の葛藤の様子が赤鬼と青鬼という相反する人格を通して語られるのです。そして展示室Cでは内藤先生の言葉が壁全体に散りばめられた空間に、映画館さながらの特大サイズの映像演出として、益田工房が指名されたのです。こんな夢のような出来事が起こるなんていまだに実感が湧いていないというのが今の私の正直な気持ちです。私の人生を変えるほど大きな影響を与えた建築を手がけた内藤廣の展覧会に私が撮影した映像が展示の演出として起用されるなど、たとえいかに私の想像力が豊かであったとしても、想像すらしていませんでした。今回我々に白羽の矢が立ったのは、グラントワ15周年の際、内藤廣の建築案内という、内藤先生のインタビュー動画を、長年お世話になっている石見美術館学芸員の川西由里氏のご紹介により撮らせていただいたのですが、その作品を高く評価していただけたことがきっかけのようです(この映像も展示室Aで展示されています)。仕事が仕事を呼ぶとはまさにこのことですが、“あの内藤廣とクリエイターとしてご一緒させていただけるなんて、人生何が起きるか本当にわかりません。 

内藤先生はとても気さくで穏やか、人に圧力を与えるようなそぶりを一切見せる方では無いの ですが、私がまだ先生にお目にかかったことのない時期にいつも感じていた「お前もっと頑張れよ」と未だに言われているような気がして、悠然と構えるグラントワと対峙している時のそれと同じ気持ちになるのです。奇しくも、内藤先生と私の父は昭和25年生まれの同い年。私はその二人の男によって人生を大きく左右されて今を生きているのだろうと考えると不思議な気持ちになります。先生と父を比べることはできませんが、私にとってはどちらも偉大な人物で、このジェンダーレスの時代に、敢えて昭和のマッチョな言い方を借りるなら、あの世代特有の“男の生き様”からもろに影響を受けてしまっているのです。それは最後の最後まで戦い抜くことを意味します。ということで、これからもっと頑張ります。

展覧会前の試写を眺める内藤先生と偶然にも同じポーズをとる私 ※展示室内の写真は特別な許可を得て撮影しています。

SHARE