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地域の情報をはじめ、季節のイベントやおすすめスポットなどをランダムにピックアップ。観光情報誌などにはないようなディープな情報も地元ならではの視点でご紹介します。

TOURIST INFO

連泊時の清掃についてのお知らせ

マスコスホテルでは現在、環境保護の観点よりご連泊時の通常清掃を3日に1度とさせていただいております。
(連泊清掃無しプランの場合は7日に一度)

これまでは、ご希望がありましたら追加での清掃についても無料でさせていただいておりましたが、
8月1日より、清掃日以外での客室清掃につきましては1回2,000円の追加料金を頂戴することとなりました。

ご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします。

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誇れるか、否か。

 

マスコス社長の洪 昌督です。

半年以上もブログを更新しなかったのには理由があります。

自分の中で、今書くべきではないという忖度をしていました。それは、私が最も嫌悪していたはずの世間に対する媚びの姿勢であり、生ぬるい企業家やクリエイターが直面するジレンマ、それが透けて見えることを恐れたからです。

私のように中途半端な人生を歩んでいると、周りから認められたいという欲望に目が眩むことがあります。そこには大きな落とし穴があり、本来自分が望むやり方や世界とは違う方法を選んででも、それを求めてしまうということがよくあります。ビジネスと割り切ればそれで良いのかも知れませんが、そこに本質的な幸福をどうしても見出すことが私にはできません。自ずと死ぬ間際に自分を誇れないまま息を引き取ることになるのは私のような人生観を持つ人間にとっては明白です。

益田という街に戻ってからの15年間、私はこの葛藤の中で生きてきました。そして今もその葛藤を抱えながら生きています。その渦中で、自分を律し、奮い立たせて作り上げたのがマスコスホテルであり、益田工房です。どちらの会社でも、私は常々スタッフたちに世界レベルを意識するような言葉を投げかけています。しかし、それがなかなか伝わらないという現実を、この15年間で実感しました。何より、スタッフだけでなく、自分自身がどこかで妥協していることにふと気付く場面がしばしば訪れます。それでは伝わる筈もありません。

最近、私は案外真面目で普通とは変わった価値観で生きてきたのかもしれないと思うようになりました。若い頃から遊ぶことにさほど関心がなく、自分の才能でどれだけオリジナルの世界を表現できるかということだけを考えていました。当時は仲間と真剣に音楽活動をしており、商業主義とは程遠い、独自の精神世界を表現するという一点のみを見つめた活動をしていました。自分達の表現に嘘を持ち込みたくないという純粋たる気持ちで創作をしていました。たとえそれがなかなか理解されないとしても。それが伝わり評価してくれる相手は世界のどこかには必ずいるはずだということを信じていました。東京にいた仲間たちも皆似たような心持ちの人間だったため、自分が特別に変わっているのだとは思いませんでした。むしろ、技術も感性も知性も全く足りていないという意識が強く、単なる他者との比較というものではなく、世界レベルの唯一無二の優れた作品を生み出す「装置」としての自分の性能の低さに劣等感を抱く日々を過ごしていました。

益田という、島根県内ですら存在感の薄い街で暮らしていると、「世界と戦う」という意識を伝えることが非常に難しい現実に直面します。都会で目覚ましいスピードで成長し進化している知人たちを見ると、その差は歴然としており、悔しさと虚しさが込み上げてきます。

今年で44歳になった私ですが、40歳を過ぎたら、後進のためにも、自分に正直に生き、自分の思うことを素直に発言し、発信しようと心に決めていました。韓国にルーツを持つ家族のもとでこの国に生まれ育った私は、それなりの儒教的精神が根付いており、孔子や孟子の遺した言葉が自分のベースとなっている様な気がしています。とはいえ、孔子の「四十にして惑わず」という言葉に対して、私は若い頃から懐疑的でした。事実、若い頃の私は、四十を過ぎてもなお何も成し遂げられないなら生きていたくないとさえ考えていました。四十からの人生は、惰性と生命の消費の時間にすぎないといった様な考えです。この世界には若くして天命を全うし、世界を前進させる人々がたくさんいます。しかし四十を越えてさして成果をあげられていない自分を内省すると、私は孔子の言葉が凡人に向けられたものであったのだと今更ながら悟り、実際に自分もその一人であることを受け入れました。凡人であっても、四十歳を過ぎてからは周囲の視線を気にせず天命を全うする使命があると今では感じています。消費し、消費されるだけの人生の時間ではなく、社会を前進させるために自分に与えられた時間でできることを真剣に考え抜き行動することが使命であり、それこそが不惑の意味することではないかと。私は会社の理念として「誇れるか否か」を掲げ、スローガンとして「目的地であれ」と謳っています。これまでの歩みが全て正しかったとは言い切れません。「自分はなんと小さい男なのだろうか」「なんと無駄な時間を過ごしてきたのだろうか」と振り返ることもあります。今一度自分の人生を見つめ直し、死ぬ間際に「凡夫なりに、俺は自分を誇れる」と思えるように生きて死にたいと思います。

 

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デイユースプランのご案内

《DAY USE PLAN》

MASCOS HOTELをお気軽にお楽しみいただけるデイユースプランをご用意いたしました!

温泉やサウナ入り放題&最大10時間のご利用が可能!

もちろんお部屋でもお過ごしいただけますのでリモートワークなどのお仕事も!

ご予約はお電話(0856−25−7331)で受け付けております。

○時間:12:00チェックイン-22:00チェックアウト

○料金:¥5,500/1室1名(¥8,800/1室2名)

・本プランは宿泊なしのデイユースプランとなります。

・お時間の延長は行っておりません。

・チェックイン後のキャンセルはできません。

・事前予約なしでもご利用いただけますがお部屋のご用意にお時間を頂戴する場合がございます。

・室数限定のためご利用いただけない場合もございます。ご了承ください。

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「しまね旅キャンペーン」再実施中!

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マスコスホテル誕生のきっかけ

社長の洪 昌督(こう しょうとく)です。

今回はマスコスホテル誕生のきっかけについて書こうと思います。
一言で表すなら、それは島根県芸術文化センターグラントワの存在。 

日本を代表する建築家の一人、内藤廣氏が設計したこの建物が“この”益田市に誕生していなければ、マスコスホテルを建てることは絶対になかった、それほどグラントワの誕生は私にとっては大事件でした。 

私は高校卒業まで益田市で過ごしたのですが、当時の私の益田に対する印象は最悪そのもので、お世辞にも郷土愛などという尊い気持ちはなく、むしろ完全否定の対象として、夢も希望も持てない「片田舎」という位置付けでしかありませんでした。 

当時、少年だった私にとっては大袈裟でもなんでもなく、本心からそのような気持ちで益田という街を俯瞰していました。 きっと私と同様の思いで益田を離れて行った人達は多数存在するのではないかという確信めいた思いすらあります。このことが地方から人がいなくなる最大の原因と言っても間違いではないでしょう。 

家族を愛し尊敬する気持ちはあっても、将来に希望を抱くことが本分の少年にとって、憧れの対象となる街、すなわち大人を身近にまた魅力あるものとして感じることができないというのは酷な話です。 海も山も川も全て揃う自然環境には充分すぎるほど恵まれているこの土地で、己の一生を考える 時、指標となる存在に出会うことの出来ない街。私の場合はその空白を、映画や文学、そして音楽で埋めていきました。その意味においては、インターネットのない時代に海外の映画コレクターだった父親には感謝しなければなりません。 

テレビから垂れ流される国内マーケットに偏りすぎた日本のメディアやアーティストと呼ばれる人たちの作品と距離を置くことが出来たのは、海外の作家が生み出す高潔な作品群との比較 によるところが大きく、少年の純粋な感受性にその差は圧倒的だったのです。魂を売った大人が作った産物と大人が魂を込めて作り上げる真の作品との違いと言ってもいいでしょう。もちろん、国内にも素晴らしい作品は数多くありますし、日本のテレビと海外の映画を比較してしまっている時点でそもそも対象が間違っているのですが、子どもにとっては同じ大人が作り出すという点に相違はなく、ただ純粋にそのように感じていたのです。当時の気持ちとしては、日本のテレビは何故こんなにダサくて幼稚なのかと、怒りの感情を抱えていました。今となってはそのダサくて幼稚な理由に私なりの解釈がありますが、それは今回は省略します。 

街はそこで暮らす大人たちの思考と行動の連続で現在を更新し続けるわけで、魅力のない街というのはそこに暮らす大人そのものとイコールになる、つまり街に魅力がないのは大人に魅力がないことに他ならないと考えていました。未だにその想いは大きくは変わりません。ただ、その厳しい目を今度は自分自身に向けざるを得ない環境に身を置くことになったのが当時と今との決定的な違いです。

そんな二度と帰りたくないと思っていたこの街に帰ってきた私。人生これからという20代後半で、今後は「ここ」で一生を過ごさなければならないという、事業を営む家の一人息子として生まれた自分の宿命に対する絶望感に打ちひしがれる中、初めてグラントワに訪れた際、とても一言では言い表すことのできない感動を覚えました。 

私が子どもの頃に出会いたかった高潔で純粋且つ洗練された正真正銘の本物のクリエイターの姿が、建築というインタラクティブな空間として“あの”益田に誕生していたのです。それも郷土の伝統である石州瓦を全身に纏った姿で。 

この出来事は街に巨大な隕石が落ちてきたほどの衝撃と変化を私にもたらしました。まさしくその後の私の人生を大きく左右する出来事です。東京でクリエイターとして名を揚げることを諦めて帰ってきた私に、もう一度クリエイターとして歩むことを後押ししてくれる存在が、身近に誕生していたのです。 この時点で、益田という街の捉え方が私の中でマイナスからプラスへと大きく逆転していきました。グラントワに足を運ぶたびに、「お前もっと頑張れよ」と戒められるような気持ちになるのです。それは、癒しの空間であると同時に生きることを急かされるような、相反する感情が渦巻く場所として。 そんな自分のような人間の気持ちを受け止めてくれる存在があることが、それから約3年ほどして創業した益田工房というデザイン会社を営む上でも大きな支えとなりました。少なくともグラントワに行けば、デザインや文化そして芸術の重要性を理解してくれる学芸員や職員の方々と交流することができ、価値観を共有できる同志が存在する場所、言い換えるなら聖域がいつでも足を運べる場所にある。これは少年時代の孤独からの解放を意味します。 

上空からグラントワを捉えた様子

 

益田工房創業後、デザインに対する理解の低い街で最初は苦労の連続でしたが、10年という長い月日をかけてデザインの重要性を街に浸透させるという目的の遂行に一定の達成を実感するにつれ、次第にもっと直接的にまちづくりに参加したいという思いが強まっていきました。

私は寝る以外にはぼーっとすることができず、常に何かしらの邪念や雑念が脳裏に現れては消えてを繰り返してしまうタイプの人間で、あるとき、益田を訪れた人たちにとって、「すごいのはグラントワだけで、それ以外は特に何もない街として映っているのではないか」という疑念がふと湧いてきた瞬間がありました。「それでは困る。いや、本当にそうなのか?」自問自答する中、では何が今の自分に出来るのだろうと考えた時、私には一つ確信(妄想)に似た答えがありました。

当時、現実問題として、益田には宿泊施設が足りていませんでした。私は落ち着きがなく、性急に動き出してしまう性分なのですが、すぐさまその確信を携え、ほとんど発作的に駅前の土地を探しに出かけていました。駅前に向かったのは益田駅前の裏手にある飲食店が立ち並ぶ通りの魅力を知っていたからです。益田市は島根県西部においてダントツで飲食店の多い街です。尚且つそれが一ヶ所に固まっていてどこも美味しいというのが最大の魅力です。以前からその魅力をもっと伝えることはできないものかと考えていたのですが、そこに宿泊問題が私の中での妄想と結びつき、益田の飲食店街にすぐにアクセスできる宿泊施設が出来ればきっとこの街の評価も上がるのではないかと考えたのです。チェーン店ではない、地元の人がプライドを持って営む個人商店が並ぶ通りはこの街の財産です。そして何より、そのすぐ先にはグラントワがあるのです。この必然をこの街の大人が大きな魅力として認識し、力を入れて打ち出すべきです。

見つけた土地は、今ではグラントワ通りと名のついた駅前に面した大通りで、飲食店街と駅をまさにグラントワと直線上で挟み込める場所にあったのです。すぐに当時社長であった父にこの話をしたところ、私以上に行動力のある父はすぐさまその土地を押さえてしまったのです。 私としてはいつもの勢い任せの妄想を口に出しただけのほんの軽い冗談に近いつもりでしたが、父には本気のプレゼンのように捉えられてしまったようで、こうなってしまうともう誰にも止められません。そこからマスコスホテル誕生までの道のりは大変険しいものになりまし た。 

手前にはマスコスホテル。奥にはグラントワが。写真中央の通りに飲食店が立ち並ぶ。左の通りがグラントワ通り

 

その苦労話は別の機会に綴りたいと思いますが、宿泊施設を作るということは、大型建築を益田に誕生させることになります。そこでの私の思いは、ただ一つ、なんとしても本物と呼べるものを建てたいというものでした。豪華絢爛な宿泊施設やグラントワほどの究極の建築は無理でも、これならなんとか恥じることなく胸を張って満足してもらえるギリギリのラインを目指しました。グラントワという存在がなければそこまで自分を追い込むことは決してなかったはずです。ビジネスを超えた地域の矜持の問題として表現したいと思ったのです。これがマスコスホテル誕生のきっかけです。

グラントワ内の島根県立石見美術館で開催中の企画展会場入り口

 

この記事を書いている現在、そのグラントワで内藤先生の展覧会を開催中です。『建築家・内藤廣/ BuiltUnbuit 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い』と銘打たれた企画展は、内藤先生がこれまで実際に手掛けられた建築模型と実現しなかった建築模型が所狭しと並び、尚且つそれら一つ 一つに先生の葛藤の様子が赤鬼と青鬼という相反する人格を通して語られるのです。そして展示室Cでは内藤先生の言葉が壁全体に散りばめられた空間に、映画館さながらの特大サイズの映像演出として、益田工房が指名されたのです。こんな夢のような出来事が起こるなんていまだに実感が湧いていないというのが今の私の正直な気持ちです。私の人生を変えるほど大きな影響を与えた建築を手がけた内藤廣の展覧会に私が撮影した映像が展示の演出として起用されるなど、たとえいかに私の想像力が豊かであったとしても、想像すらしていませんでした。今回我々に白羽の矢が立ったのは、グラントワ15周年の際、内藤廣の建築案内という、内藤先生のインタビュー動画を、長年お世話になっている石見美術館学芸員の川西由里氏のご紹介により撮らせていただいたのですが、その作品を高く評価していただけたことがきっかけのようです(この映像も展示室Aで展示されています)。仕事が仕事を呼ぶとはまさにこのことですが、“あの内藤廣とクリエイターとしてご一緒させていただけるなんて、人生何が起きるか本当にわかりません。 

内藤先生はとても気さくで穏やか、人に圧力を与えるようなそぶりを一切見せる方では無いの ですが、私がまだ先生にお目にかかったことのない時期にいつも感じていた「お前もっと頑張れよ」と未だに言われているような気がして、悠然と構えるグラントワと対峙している時のそれと同じ気持ちになるのです。奇しくも、内藤先生と私の父は昭和25年生まれの同い年。私はその二人の男によって人生を大きく左右されて今を生きているのだろうと考えると不思議な気持ちになります。先生と父を比べることはできませんが、私にとってはどちらも偉大な人物で、このジェンダーレスの時代に、敢えて昭和のマッチョな言い方を借りるなら、あの世代特有の“男の生き様”からもろに影響を受けてしまっているのです。それは最後の最後まで戦い抜くことを意味します。ということで、これからもっと頑張ります。

展覧会前の試写を眺める内藤先生と偶然にも同じポーズをとる私 ※展示室内の写真は特別な許可を得て撮影しています。

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マスコスホテルのこだわり①

 

社長の洪 昌督(こう しょうとく)です。

今回はマスコスホテルのこだわりの一つについて書きたいと思います。

その一つとは”材木”についてです。

本ウェブサイトの導入テキストにもありますが、私は開業時にクラフトホテルという別称をこのホテルにつけました。それは、マスコスホテルの建具や家具、食器、衣類が地域の職人さんたちの手によって一つ一つ丁寧にオリジナルデザインで作られたものであるからです。まともな経営者であれば、観光客もほとんど来ない片田舎に補助金も使わず外装や内装にお金をかけたシティホテルを建てるなどというタガの外れたことはしません。スタッフたちは気づいているはずですが、この場を借りて白状しておきます。私はまともな経営者ではありません。

コスパという言葉が近年流行語のようになっていますが、その意味では運営側目線では全くコスパは良くありません。

本物、そしてオリジナルデザインにこだわることは当然イニシャルコストがその分上がります。いえ、爆上がりします。

ではなぜそこに拘ったのか。

それはこれまでの出会いに起因します。

私は現在祖父が生前に建てた家で暮らしているのですが、その家は昭和の後半に建てられた木造で漆喰壁の日本家屋です。

その家は祖父が大借金をし、自ら材木の調達に出かけ、当時の大工さんに口うるさく注文をつけ、作業中も仕事を監視し続けるという半ば嫌がらせに近い執念で作ったこだわりの家です。そのことを嬉々として語る祖父に対して小さいながらに畏敬の念を抱きました。

やがて高校進学上京と、目まぐるしく自分を取り巻く状況が変わる中、とにかくモダンなものへと意識が向き、都会的で洗練された所謂お洒落なものにどっぷりと浸かる時期がありました。その意識の継続がやがてマスコスとは別に私がもう一つ代表を務める会社、デザインオフィス益田工房の創業に繋がるのですが、当時の私はとにかくなんでも最先端が好きでした。

益田工房という会社では私はアートディレクションと写真、映像制作を主な役割としています。その仕事を通じて地域の様々な方とお会いしました。その数々の出会いの中で今回のテーマと深く関わる方達というのは、木工職人や大工の方々です。彼らの材木へのある種異常な愛着を目の当たりにするたびに、毎回祖父の顔が浮かびました。そして彼らから天然木の素晴らしさを教えていただきました。木の種類、それぞれの木が持つ特有の性質、硬さ、木目の美しさ、希少性、産地、その他にも実に多くのことを。それと同時に、現代の建築物の多くに天然木が仕様されなくなってしまっていることを憂うお話も沢山伺いました。職人にとって本物の素材に触れる機会が減るということは、日本の高度な木工技術そのものが失われていくことを同時に意味します。一見無垢の木材に見えるものの多くが、化粧板と呼ばれるメラミン等の化学素材で作られた別物であり、まさにコスパがよく、水や汚れに強いといった優位性を持つため、建材の主役になっています。それを完全に否定するつもりはありません。近頃では低コスト住宅が流行っており、益田市内でも新築ラッシュが続いています。建材の進化のおかげでマイホームという幸せが手に届きやすくなったのであれば、それはそれできっと正しく、その家で家族と共に過ごす時間は幸せに違いないからです。

しかし、私のように祖父と職人さんたちから無垢材と職人技の素晴らしさを教わってその思想に傾倒した天然木原理主義者の人間にとってはそういうわけにはいきません。おまけにホテルという、小さな街にとっては景観を大いに左右する大型建築を立てるわけですから。何より地域のプライドをかけて建てるホテル(私が勝手にやっているだけですが)ですから、将来ヴィンテージホテルに成長させる為にも、本物の素材を使わないわけにはいきません。そして何より地域の職人さんたちの技術を存分に活かしたいという思いが強いわけです。そこにその地域特有の価値が生まれると信じています。地域を残す、文化を残すといった視点に立った時、価値のある素材と確かな技術に裏打ちされた本物にしか次世代に喜ばれる未来はないと考えています。

開業から5年近く経つ現在、栗の木をふんだんに使ったホテルの家具や建具が見事な経年変化を見せつつあります。材木への異常な愛情として、無垢材の持つ表情にこだわるあまり、材木の表面にはウレタンやニス等を塗布するなど、取り立てて特別な表面処理はしていません。そのため輪染みが残ることもありますが、人の顔に徐々に刻まれる皺やシミがその人の人生を物語るのと似た魅力を持つものと考えてるためです。仮に塗布するとしても天然由来の専用オイルのみにとどめています。白木の状態から徐々に飴色に変化を遂げた家具や木材の表情はなんとも言えない落ち着きを放ちます。その空間の中で過ごす時間は格別です。特に外光の入りやすいレストランスペースの経年変化がいい味を醸し出してきましたので写真をいくつか掲載しておきます。

 

マスコスホテルの家具は全て江津市のSUKIMONOさんによるものです。友人でもある職人のJUNさんに何度も無理を言って試作品を作っていただきました。

 

こちらもSUKIMONOさんが手がけたバーカウンター。JUNさんのこだわりが随所に光る傑作です。

 

いつの間にか輪じみがついた大テーブル。これも味わいの一つ。

 

余談ですが、私はShotoku Koh名義でシンガーソングライターとしても細々と活動しています。10年ほど前にフラッと立ち寄った東京の新大久保の中古楽器店でスペインのジプシー系ギター職人がハンドメイドで作ったスパニッシュギターに出会いました。ボディーに亀裂が入っており、内側に当て木で補修されている所謂傷物のため格安で販売されていたのですが、そのギターに使用されている材木はハカランダ(別名ブラジリアンローズウッド)という現在では大変希少性の高い高級木材で作られたギターです。先述した職人さんたちと同じく、その楽器屋の店員さんがハカランダについて熱く語ってくれたのが購入のきっかけです。

私は歌い手としての歴は長いのですが、ギターの腕はからっきしでした。しかし驚くことにこのギターを買ったのち急激にギターが上達しました!(相変わらず下手は下手ですが私にとっては完全に奇跡!)以前序文だけ読んだことのあるギターの教則本に、優れた楽器を持つことで演奏力も上達すると書かれていましたが、本当でした。

 

Juan Lopez Aguilarte氏によるスパニッシュギター。サイドとバックにハカランダを使用しています。

 

最後に、先日お亡くなりになられた、島根県吉賀町ご出身で初代グラントワセンター長であり、東京スカイツリーのデザイン監修をされた彫刻家の澄川喜一氏、私は澄川先生と呼ばせていただいておりますが、その澄川先生に私は何度もインタビュー映像を撮らせていただける大変な好機に恵まれました。数ある材木の中でも先生は欅が特にお気に召されているご様子でした。誰よりも木のことを熟知しておられ、単に彫刻の素材としてでなく、まるで大切なパートナーであるかのように木と向き合う姿勢が印象的でした。先生がご自身の作品の前で木について語られる際の優しい表情は同世代の私の祖父と重なるところがあり、勝手な親近感を抱いていたため、もうお会いできないのかと思うと淋しいのですが、芸術家としての功績だけでなく、決して偉ぶることなく誰にでも分け隔てなく接せられるそのお人柄といい、大変多くのことを学ばせていただいた澄川喜一先生との出会いに感謝の念しかありません。心よりご冥福をお祈りいたします。

今回は材木をテーマに綴りましたが、職人さんとの出会いによるエピソードは枚挙にいとまがないため、またどこかのタイミングで書きたいと思います。 

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【EVENT】5/21(Sun) Tasty 松江 in 益田

【『Tasty 松江in益田』MASCOS BAR&DININGにて開催!】
昨年5月、松江市茶町エリアで開催され、大好評だった『Tasty石見』。
今回は、松江などの出雲地域のお店が益田に出店する『Tasty 松江 in 益田』として開催されます。

開催日:5/21(日) 12:00〜16:00
場 所:MASCOS BAR&DINING
(島根県益田市駅前町30-20 MASCOS HOTEL1F)沢山の美味しいものや素敵なクラフトが集まります!
皆さんぜひ、お誘い合わせの上遊びに来てください。

※なお、5/21(日)はこのイベントのため、ランチ・ディナー共にお休みとなります。

 

 

 

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社長ブログはじめました。

はじめまして。株式会社マスコス代表取締役社長の洪 昌督(こう しょうとく)です。

この度マスコスホテルの公式サイトで、社長である私のブログページを設けました。

私は本来自らを露出したいタイプの経営者ではなく、それ故なるべく外に向けての発信を控えていたのですが、
地方で事業を続けていく上で、経営者自らが内外に対して生の声を発信し伝えることの重要性を今更ながら感じており、会社はもとより地域にとってもプラスとなるような記事をこれから発信していければと思っています。

記念すべき第1回目の投稿は、明るいお知らせとして、人口減少と若者流出で地元採用が年々厳しさを増す中、
ありがたいことに、マスコスホテルでは今年3名の新規採用がありました。
それに伴い、恥を忍んで私の入社式でのスピーチの全文も掲載することにしました。

初々しさ溢れる若者達とこれから一緒に働けるのが楽しみな今日この頃です。

 

入社式スピーチ全文

新入社員の皆さん、この度は入社おめでとうございます。

社長の洪昌督です。皆さんがこれから勤めるマスコスホテルは、私が悩みに悩み、考えに考え抜いて作ったホテルです。つまり私という人間の考えを理解してもらわないことには、その存在意義を真に理解することのできないホテルです。ですので、今日のこの時間を借りて新入社員の皆さんにできる限り多くのことを伝えたいと思い、なるべく伝え漏らすことのないように、今日はあらかじめ用意した原稿を読み上げることにしました。これは何を意味するのかというと、話が長くなるということです。せっかく学校の校長先生のつまらない長話から解放されたと思っているかもしれませんが、人生そう都合良くはいきません。ただ、これから私が皆さんに伝えることは、皆さんにとっても会社にとっても大切なことですので集中して聞いてください。スティーブジョブズがスタンフォード大学の卒業式で話したスピーチが15分ほどです。なるべく15分で話終えられたらと思います。

マズローの五段階欲求という理論を聞いたことがありますか。最初にこの説について少し時間を割かせてください。マズローとは1970年代まで生きたアメリカの心理学者の名前で、この人が人間の欲求を階層別に五段階に分けて理論化したものです。

頭の中に三角のピラミッドを思い描いてみてください。

人間が最初に求める最下層である第一階層の欲求は生理的欲求を意味します。「食欲」や「睡眠欲」のことです。第二階層は「安全欲求」で安心・安全な暮らしを求める状態を指します。第三階層は「社会的欲求」友人や家族、会社から受け入れられたい欲求を指します。続いて第四階層の「承認欲求」、他者から尊敬されたい、認められたい、出世したいという欲求を指します。そして最後の第五階層「自己実現欲求」自分の世界観・人生観に基づいて「あるべき自分」になりたいという欲求を指します。

実はその先があるのですが、それは「自己超越」です。

現代では多くの人が第四段階の「承認欲求」を抱えながら日々生活をしています。それはSNSが物語っています。そしてそのことで、時に喜び時に苦しみもがいています。

私についての話に戻ります。私は経営者であると同時に芸術や創作を志す者として少なからぬ時間を割いて生きてきました。私は現在も音楽活動を行い、もう一つ経営する会社、株式会社益田工房というデザイン会社でデザイン制作や写真撮影、映像制作といった仕事を様々なクライアントから依頼を受け日々こなしています。人は皆多面的な生き物ですが、私ももれなくその中の一員です。そしておそらく一般的なそれよりも私はその特性が強いかもしれません。敢えて最も自然な状態で素の自分を定義づけるとするならば、私は音楽家です。そうなると、皆さんがこれから勤めるマスコスホテルは音楽家が作ったホテルであると言えます。

音楽家を抽象化すると、表現者やクリエイターと言い換えることもできます。そうなると今度は、マスコスホテルは私の表現作品と捉えることもできます。そして作品には作家の思想や感性が詰まっています。

ここでもう一度、マズローの五段階欲求の話に戻ります。私が芸術作品としてマスコスホテルを作ったのであるとするならば、第四階層の「承認欲求」そして第五階層の「自己実現」が当てはまるかもしれません。しかし実はそうではありません。では階層を少し下に下げてみます。第三階層の、社会から受け入れられたいとする「社会的欲求」、第二階層の「安全欲求」、第一階層の「生理的欲求」、実はこの三階層は皆さんの生活を支えるために必ず実現しなければならない最も基本的で大切な階層です。しかしながら会社経営はこの三つを実現することすらままならないほど非常に困難な行いです。毎年実に多くの会社が世の中に誕生しては消滅して行きますが、その過酷さははっきりと統計に表れています。まず創業して3年で35%の会社が姿を消します。10年経つとその数は急激に延び、実に93.7%が姿を消します。私が創業した益田工房という会社は13年が経とうしており、幸運にも生き残りの6.3%の中に入っています。そしてそこから更に時間が経過して、30年後に生き残る会社というのは全体の0.025%に過ぎません。会長が創業したマスコスの前身である洪商事は今から40年前に作られました。そしてマスコスホテルを建設するタイミングで株式会社マスコスという社名に変更して今に至ります。つまり皆さんは全体の0.025%より更に低い数値の中で生き残った会社に就職されたということになります。これは驚くべきことです。賞賛に値するかもしれません。こう聞くと順風満帆なイメージを抱くかもしれませんが、現状は決して楽ではありません。会社を継続させることはそれほど困難なことなのです。社会人になる皆さんにはまず初めにこの現実を知っておいていただきたいのです。

マスコスという名前を命名したのは他でもないこの私です。そこには益田を超えるという意味が込められています。すなわちそれは超越を意味します。五段階欲求のその先です。それは目的を遂行するために自我を捨てる境地に至ることでもあります。私はこの益田の地で10年以上、経営者や表現者である前に一人の人間として、承認欲求や自己実現のはざまで戦ってきました。しかしある時気がついたのです。そこに大した意味はないということを。そこに囚われるとするならば、私はいつ死んでもいいと言える人生を歩んできました。表現活動においてはそのように毎回覚悟を決めて自分の内面と自分の持つ才能に向き合って生きてきたからです。しかしそれはあくまで個人という枠に囚われた小さな人間の思考に過ぎません。

株式会社マスコスが運営するマスコスホテルは会社の名前がそのままホテルの名前になっています。冒頭に、ホテルを理解するということは私を理解することに繋がると述べましたが、マスコスホテルは、私というエゴが極限まで削り抜かれて完成されたホテルです。つまりは、私の承認欲求や自己実現のために作られたものでは決してないということです。マスコスホテルはこの益田の地に生きる人々、そしてこの地に訪れる人々のために作られたものです。ホテルのコンセプトについては別に時間を割いて話をしたいと思います。

最後に、新入社員の皆さんに私の好きな言葉を一つ選んで伝えたいと思います。私は少ない読書経験の中でも古典文学や古典哲学から人生のエッセンスを取り入れてきた人間の一人です。そしてそれは今なお日々継続しています。西洋哲学の父と呼ばれるソクラテスは「無知の知」という考えをもとに思考を深めた人です。つまり、自分が無知であるということを知ることが重要であるという考えです。そして言葉としては「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり」という言葉を残しています。簡単に補足すると、無知でいることは許されないことであり、それは人として無責任であることを意味します。知は空虚なりといういうのは、知識を蓄えそれをひけらかすだけなら意味がない、それどころか鼻持ちならない嫌味な奴ということになります。最後の、英知を持つもの英雄なりというのは、得た知識や情報を実践して世の中の役にたてましょうという意味です。私は益田の地で私なりにこれを実践してきたつもりです。私が38歳の時に建てたマスコスホテルは38年間の私の人生経験の中で、私なりの知を最大限活かしたものです。

新入社員の皆さんの人生は始まったばかりです。その状態は美しくもあり無知そのものであるとも言えます。私が皆さんに強く求めたいことは、仕事で経験することとは別に、プライベートな時間の中で、教養と感性を磨くことを怠らないで欲しいということです。10代後半から20代の若さ溢れる特別な時間だけは取り戻すことはできません。この時期に頑張った人だけが見ることのできる景色というものが確実に存在します。確かに人は変わることができます。私は立派に変わった人達を見てきました。いつからでも再スタートは切ることができます。ですので20代を棒に振っても生きていけないわけではありません。それは紛れもない事実です。全ては意識の問題です。私は私なりに20代を全力疾走しました。そんな私も自分の無知が恥ずかしいと日々思いながら生きています。私のような人間が経営者でいることをおこがましいとさえ日々思いながら生きています。私には権力欲はほとんどありません。権力の話をすると更に話が長くなるのでこの辺にしておきます。私を突き動かすのは責任感と使命感です。私がもし学ぶことをやめたとしたら、私はその時点で、経営者はおろか、大人でいることをやめたことになります。

ですのでそんな私は、皆さんにも知の実践を期待します。次の世代に責任を持つことを喜びとする大人にどうか育ってください。それが社会をより良い方向に導くことに繋がると信じています。

長くなりましたが、これで私からの挨拶とさせていただきます。改めて、新入社員の皆さん、株式会社マスコスへの入社おめでとうございます。

2023年4月7日 株式会社マスコス 代表取締役社長 洪 昌督

 

 

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【4月24日(月)からのアメニティの提供方法と客室清掃について】

平素よりマスコスホテルをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

当ホテルでは環境への影響を削減するため、使い捨てプラスチックごみの削減やランドリー設備における節水・節電に努めてまいります。

誠に勝手ながら、2023年4月24日(月)よりアメニティの提供方法と客室清掃について下記の内容へ変更させていただきます。

持続可能な地球環境対策として、お客様のご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。

■アメニティについて

従来通りタオル、フェイスタオルはお部屋にご用意させていただきますが、それ以外のアメニティにつきましては、フロント前のアメニティコーナーより必要な物をお取りいただく形式で提供をさせていただきます。

《フロント前設置アメニティ》歯ブラシ、シェーバー、ボディタオル、ヘアブラシ、コットン・綿棒、ヘアキャップ、客室内用スリッパ

※使い捨てプラスチック製品の削減を目的としておりますので必要最小限のご利用にご協力お願いいたします。

■客室清掃ついて

従来通りお客様のチェックアウト毎に客室の清掃に入りますが、誠に勝手ながら、ご連泊のお客様の清掃及びベッドメーク(シーツ交換等)につきましては3日に一回とさせていただきます。

清掃のない日につきましては、入室を控えさせていただきますが、新しいバスタオルとフェイスタオル、飲料水をドアノブにかけて提供させていただきます。

毎日使用済みタオルの回収やゴミ箱の交換は行います。お手数ではございますが、不要な物、交換の必要なゴミ箱はお部屋の外にお出しくださいませ。

シーツなどのリネン類の交換が必要になる場合、その他ご要望がございましたらフロント9番までお申し付けください。

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TOURIST INFO

女子風呂内水風呂設置工事のお知らせ

下記の通り、女子風呂内水風呂設置工事のご案内をさせていただきます。

 

期間:R5.1月11日(水)〜 2月18(土)まで

作業時間:月曜日〜土曜日 9:00〜16:00  女子風呂入浴不可

作業休み:日曜日  ※日曜日は通常通り営業

1月10日(火)のみ11:00〜13:00の2時間は作業準備のため、女子風呂入浴不可

ご不便をおかけしますが何卒ご理解ご協力の程をお願いいたします。

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