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誇れるか、否か。

 

マスコス社長の洪 昌督です。

半年以上もブログを更新しなかったのには理由があります。

自分の中で、今書くべきではないという忖度をしていました。それは、私が最も嫌悪していたはずの世間に対する媚びの姿勢であり、生ぬるい企業家やクリエイターが直面するジレンマ、それが透けて見えることを恐れたからです。

私のように中途半端な人生を歩んでいると、周りから認められたいという欲望に目が眩むことがあります。そこには大きな落とし穴があり、本来自分が望むやり方や世界とは違う方法を選んででも、それを求めてしまうということがよくあります。ビジネスと割り切ればそれで良いのかも知れませんが、そこに本質的な幸福をどうしても見出すことが私にはできません。自ずと死ぬ間際に自分を誇れないまま息を引き取ることになるのは私のような人生観を持つ人間にとっては明白です。

益田という街に戻ってからの15年間、私はこの葛藤の中で生きてきました。そして今もその葛藤を抱えながら生きています。その渦中で、自分を律し、奮い立たせて作り上げたのがマスコスホテルであり、益田工房です。どちらの会社でも、私は常々スタッフたちに世界レベルを意識するような言葉を投げかけています。しかし、それがなかなか伝わらないという現実を、この15年間で実感しました。何より、スタッフだけでなく、自分自身がどこかで妥協していることにふと気付く場面がしばしば訪れます。それでは伝わる筈もありません。

最近、私は案外真面目で普通とは変わった価値観で生きてきたのかもしれないと思うようになりました。若い頃から遊ぶことにさほど関心がなく、自分の才能でどれだけオリジナルの世界を表現できるかということだけを考えていました。当時は仲間と真剣に音楽活動をしており、商業主義とは程遠い、独自の精神世界を表現するという一点のみを見つめた活動をしていました。自分達の表現に嘘を持ち込みたくないという純粋たる気持ちで創作をしていました。たとえそれがなかなか理解されないとしても。それが伝わり評価してくれる相手は世界のどこかには必ずいるはずだということを信じていました。東京にいた仲間たちも皆似たような心持ちの人間だったため、自分が特別に変わっているのだとは思いませんでした。むしろ、技術も感性も知性も全く足りていないという意識が強く、単なる他者との比較というものではなく、世界レベルの唯一無二の優れた作品を生み出す「装置」としての自分の性能の低さに劣等感を抱く日々を過ごしていました。

益田という、島根県内ですら存在感の薄い街で暮らしていると、「世界と戦う」という意識を伝えることが非常に難しい現実に直面します。都会で目覚ましいスピードで成長し進化している知人たちを見ると、その差は歴然としており、悔しさと虚しさが込み上げてきます。

今年で44歳になった私ですが、40歳を過ぎたら、後進のためにも、自分に正直に生き、自分の思うことを素直に発言し、発信しようと心に決めていました。韓国にルーツを持つ家族のもとでこの国に生まれ育った私は、それなりの儒教的精神が根付いており、孔子や孟子の遺した言葉が自分のベースとなっている様な気がしています。とはいえ、孔子の「四十にして惑わず」という言葉に対して、私は若い頃から懐疑的でした。事実、若い頃の私は、四十を過ぎてもなお何も成し遂げられないなら生きていたくないとさえ考えていました。四十からの人生は、惰性と生命の消費の時間にすぎないといった様な考えです。この世界には若くして天命を全うし、世界を前進させる人々がたくさんいます。しかし四十を越えてさして成果をあげられていない自分を内省すると、私は孔子の言葉が凡人に向けられたものであったのだと今更ながら悟り、実際に自分もその一人であることを受け入れました。凡人であっても、四十歳を過ぎてからは周囲の視線を気にせず天命を全うする使命があると今では感じています。消費し、消費されるだけの人生の時間ではなく、社会を前進させるために自分に与えられた時間でできることを真剣に考え抜き行動することが使命であり、それこそが不惑の意味することではないかと。私は会社の理念として「誇れるか否か」を掲げ、スローガンとして「目的地であれ」と謳っています。これまでの歩みが全て正しかったとは言い切れません。「自分はなんと小さい男なのだろうか」「なんと無駄な時間を過ごしてきたのだろうか」と振り返ることもあります。今一度自分の人生を見つめ直し、死ぬ間際に「凡夫なりに、俺は自分を誇れる」と思えるように生きて死にたいと思います。

 

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